卒業式といえば袴

こんにちは(^^)/
今日も良いお天気ですね!!!!
天気予報によると本日は22℃まで気温が上がるそうです!!
春がやってきたーーって感じで嬉しいですね🌸🌸

この時期は卒業シーズンですよね!
みなさん卒業、おめでとうございます✨✨
昨日、河原町を歩いていたら袴姿の女の子をちらほら見かけました(*´ω`*)
袴はまた振袖や小紋とは違う雰囲気でかわいいですよね♡
卒業式が中止になったところも多いですが、袴だけ着て写真だけ撮るといった方も多いそうです!
袴なんて卒業式以外ではめったに着ることはないですもんね!

そんななにげなく見ていた袴ですが、なぜ卒業式に着られるようになったのか
少し気になったので調べてみました(*´▽`*)

袴の歴史は古く、古墳時代には埴輪が太いズボンのような袴を身につけていたそうです。
平安時代になると、宮廷などで高い身分の女性たちが袴を履くようになり、
身分や性別によってきびしく身なりが定められた江戸時代には、女性たちは袴を身につけることが禁じられました。その中で唯一、例外だったのが宮廷の女官たち。彼女たちを除いた当時の女性は、丈や袖の長い着物に、幅の広い帯を巻いていました。

やがて明治に入ると、女子教育の黎明期を迎えます。
そこで、女子生徒たちにどのような服装をさせるかが議論となり、当時の学校は、いすに座って授業を受ける欧米式。従来の着物に帯というスタイルでは、帯や裾が乱れやすいという問題がありました。そのため、政府はこの時代としては例外的に女学生に男袴の着用を認めました。

明治といえば文明開化の時代。政府は西洋文化を積極的に取り入れ、服装も洋装化が進みます。学校でも、少しずつ教師や生徒が洋服を着るようになりました。
しかしその後、国粋主義の流れの中、値段も高かった洋装は下火となり、再び和装へと回帰。さらに、着物に帯の服装では学業に支障をきたすことから、少しずつ教師や女学生の間で袴の着用が広がっていきました。

明治30年ごろから、海老茶色(紫がかった赤茶色)の股に仕切りのない袴(行灯袴)が、急速に広まっていきます。海老茶色の袴に革靴、庇(ひさし)髪に大きなリボンをつけた女学生スタイルが完成されました。
彼女たちは、袴姿で颯爽と歩き、自転車に乗ったりテニスをしたりと、江戸期のしっとりとした女性像とは様変わりしました。活動的で生き生きとした袴姿の女性たちは、新しい時代を生きる女性の象徴になり、彼女たちは紫式部になぞらえて「海老茶式部」と呼ばれることもありました。
また、雑誌のグラビアに描かれたり、新聞小説のヒロインになったりと、社会的にも注目を集める存在でした。

大正モダンの時代風潮の中、大正2年の関東大震災以後、本格的に洋装が増え始めました。女学校でも大正から昭和にかけて、袴からセーラー服やジャンパースカートへと制服が切り替わっていきました。
こうして明治から大正にかけて大流行し、女学生の象徴だった和洋折衷の袴スタイルは、洋装の普及とともにキャンパスから消えていきました。洋装が一般化した今日では、袴は卒業式での女子学生の礼装として受け継がれているそうです。

もともとは制服のようなものだったんですね!
着物を着るといつも思いますが、あんなきつく締め付ける着物を
普段から着てるなんてすごいですよね?
卒業シーズンお陰で袴の歴史を知れて良い機会でした👘🌸